《中古部品の夜明け》
日本における自動車リサイクルの歴史は古く、起源は1923年(大正12年)の関東大震災の際に損傷した多くの自動車を修復する必要が生じたことに始まる、と言われています。損傷した自動車の修復、整備には数多くの部品が必要になったこと、当時の自動車のほとんどが欧米製で、部品が高価かつ入手が容易でなかったことなどにより、損傷の大きな自動車を廃車にして、回収部品類をボルト一本まで有効に活用して比較的損傷の少なかった車の修理を行ったようでした。また、これら回収した中古部品の内、自動車の補修に使用されなかったものも馬車や荷車等自動車以外へ転用され大いに役立ったということです。
《モータリゼーションの波》
やがて 世界大戦が終結し、平和の回復、経済の復興と共に、1955年ごろから高度成長期に入るとモータリゼーションの波がやってきました。スバル360、パブリカ(55年)、コロナ(57年)、ブルバード(59年)、カローラー、サニー(66年)などが大いに人気を博し、また国民車構想もあり、大量生産、大量販売へとまっしぐらに進みます。1953年の総生産台数約7千台が1980年には1、104万台になったということですからその勢いのすごさが分かります。
《廃車の急増》
また、このモータリゼーションの波は、大量の廃車を生むことに繋がってゆきます。それに応じ、自動車解体業の役割は、専ら廃車の集荷と破砕工程(シュレッダー)の前処理となって来ました。 その間、自動車の販売台数が増え続け、日本の自動車の保有台数が世界第二位にまでのぼり、年間400万台に迫る廃車が処理されることになって来ました。
《新たな道》
しかし、バブル経済が崩壊し、これまでともするとおざなりにされていた環境問題が社会の関心を引くようになり、自動車解体業者の役割も次第に変化して行きます。即ち、使用済みになった車を如何に環境への負荷を減らすよう配慮しつつリサイクルするかが問われるようになってきました。
2005年には、廃棄物の抑制(Reduce)、再使用(Reuse)、再資源化(Recycle)のいわゆる3R政策に基づく自動車リサイクル法が施行され、リサイクル部品の供給、資源循環、環境保全が現在の我々にさせられた使命であると考えています。
これまでの、「自動車解体業」が「自動車リサイクル業」に脱皮した瞬間です。 今ほど、業界が一つとなって、与えられた役割を着実に果たしてゆくことを求められたことはありません。